LOGIN結果を言うなら、俺の圧勝に終わった。 「ふん、他愛もない」 「馬鹿な……」
「なんだ、こいつ……」 俺はマントをばさっと翻し、駆ける。こんな雑魚どもの相手などしてられないのだ。 「さて、これはいかん。大遅刻だ。急がねば!」 とはいえこれではどう考えても間に合わない。家につくとしたら四時十五分、いや、下手したら四時半くらいになる。 ちらりと、道の端に自働電話が見えた。自働電話とは道ばたに設置されている電話のことで、お金を入れることで通話が出来るという画期的なサーヴィスである。雨宿りも出来るよう小型のボックスに包まれていて、至れり尽くせりだ。 「く……遅れるって電話しておくか! あ……だ、ダメだ!」 なんと自働電話の前には長蛇の列が出来ているではないか。うねうねと長いやつ。一体何人待っているのか数えていられない程。 まったく日本人は電話好きすぎて困る! やむなく俺は自働電話を通り過ぎ、ひたすらに走り続けることにした。 無論、間に合うわけもなく、屋敷についた時には三十分も遅れてしまっていた。 「はぁ……はぁ……しょ……初日だというのに、俺としたことが」 俺は深呼吸をして息を整え、きちんと学ランのシワを伸ばすと応接室へと向かう。 ドアを開けながら元気よく挨拶! 「お、お待たせしました! 父に代わってご挨拶します! 当家の嫡男、市川誠二と申します! これからどうぞよろしく……」 そこにいたのは矢絣模様の袴をまとった女の子。胸元まで届く長い三つ編みが印象的な、全体的に丸顔の子。 「おねが……い……」 歳は十五前後であろうか、美人というより可愛らしいと言った方がより適切で、背丈も推定百五十前後とあまり高くない。肌は白く、雪のように綺麗だった。 そんな彼女が薄桃色の唇をすっと開き―― 「あら? 誰かと思えば人前で歯をきらめかせてたド変人じゃないですか。ここのボンボンだったんですか。どうりで世間知らずなわけですね。まったく阿呆面です」 (ば、ばかーっ! 初日に何言ってんのよ私! クビになったらどうすんのよ! あー私のばかばかばかばか! どうしてこう二重人格なのよ! ごめんなさいごめんなさい!) 毒舌と、それに続いて謝罪が繰り出された。後者はやはり口が動いていない。 ていうか、この人。 「き、君はさっきの……」さつきさんは笑顔だった。にやにやとして、小悪魔的で、とても楽しそう。 一体この顔はどういうことだろうか? 俺の疑問はしかし、さつきさんのこの一言で判明することとなる。 「だって、知ってて黙ってましたから」 声は弾んでいた。嬉しそうだった。 俺は肩を落とし、何故かつられて微笑んでしまう。 「さつきさん……ああ、君はそういう子だったね、そういえば」 「はい! 私、もうすっかりドキドキする楽しさに目覚めてまして、誠二様と一緒にサトラレ征伐するのが楽しくて、楽しくて、楽しくて」 彼女は一呼吸置いて、 「そして何より、誠二様のこと、好きですから」 そう言いながら、ぎゅっと、俺の手を握ってきた。 「さつきさん……」 「私、悪い子なんです」 ウインクするさつきさん。 ああ、確かに彼女は悪い子だ。いい子なんだけど、悪い子だ。矛盾しているようで実は何も矛盾していない。 そして、俺は、そんな彼女が―― 「嫌いになりました?」 とても愛しい。 「嫌い? まさか。俺がそんなことで手のひらを返すような矮小な細菌野郎だと思ったかい? 見くびられたモノだね」 俺はふぁさっと前髪を梳きながら背筋を伸ばし、キラリと歯を光らせて見せた。俺の歯は毎日徹底的に洗っているのでピカピカだ。宝石のようにきらめいている! さつきさんは俺を掴む手に力を込めながらわくわくと目を輝かせている。 なら、その思いに応えよう。 「そう、俺は怖じ気づかない! 俺は諦めない! 一度サトラレを征伐したんだ、何度だって倒してやるさ!」 「そうです! それでこそ誠二様です!」 さつきさんはわかってくれている。それがとても嬉しい。愛しい。 ああ、空は青空じゃないか! なんて清々しいんだ! うん、俺はそういうやつだ。 俺はさつきさんの手を握り返し、それを天に掲げながら雄叫びを上げる。 「ようし、さつきさん! ついこてこい! 早速サトラレ征伐
冬休みが間近に迫った十二月中旬。少しだけ薄い雲のかかった青空。今日は風も吹いておらず、透徹しつつも穏やかな空気が支配する中、俺はのんびりした足取りで家を出た。 さつきさんはいつものようにメイド服を身にまとい、俺の見送りをしてくれている。 サトラレを征伐して早三日。さつきさんは市川家近くの借家で家族三人暮らしている。 でも、離れ離れじゃない。 「じゃあこれからは通いで奉公してくれるんだ」 俺が鞄をブランコのように振りながら声を弾ませると、さつきさんは優しく微笑みながら指を七本立てる。 「はい。やはり借金問題は……まあ入地さんの口添えで解決しましたけど、生活が苦しいのは変わりませんし、元は私のせいですから、助けるために夜の七時まで」 「家族団らんは?」 「ですから七時までです。夜は家に帰って、ですね。両親も私と一緒がいいみたいですし。いずれミルクホールを再建させられるように」 「なんていい子なんだ! それでこそ俺が愛しただけはある……」 別に家族団らんするだけでいい子かどうかなんてわかりゃしないのだが、こういうのは理屈ではないのである。俺のハートに眠る熱いパトスがうずく! それで十分だ。 「えへへ」 ほら、このようにさつきさんの笑顔を見ると、俺は言ってよかったと思えるのだ。 と、その時。 (いい調子だな……このまま続けば……) 念波が、声とは違うさつきさんの声が、俺の脳に直接響き渡った。 「っ!? あ、あれ、今、サトラレが発動しなかった!?」 「な、なんのことでしょう」 さつきさんは目を反らすが、 (ゲ……も、もうバレた……。やっぱり心の声は隠せないよう) またしても音とは違う言語が、脳の隅々を電気のように駆けめぐった。 わからない。理解出来ない。天を仰ぐとそこには青空があった。なんて無神経な空だ! 「ちょっと待ってくれ! サトラレはちゃんと征伐したじゃないかっ!」 ダメだ、冷静になれない。なんでサトラレが発生しているんだ。あり得ない。
「はぁ……ん……あ……はぁ……はぁ……」 さつきさんの荒い吐息。ぐったりと倒れそうになるのを俺は抱きかかえて防ぐ。 念波はもう聞こえてこない。彼女の心の声も響かない。 「やった、倒した……のか?」 確証はないが、おそらくはそうだろう。 と、メイド服をまとった聖子が俺のもとまで駆け寄り、ぽんと、背中を叩いてくる。 「強敵だったね、兄者……」 「さつきさん、サトラレは……ある?」 さつきさんは俺から離れると深呼吸を一つして、自分の体をまさぐり出す。 「え、えーと……あ……出ない。浸食を感じない……。あ、いえ、聞こえますか? 私が何て思ってるか、わかりますか?」 声? 何か言っているのか? 俺は耳を澄ませてみる。だが、何も聞こえない。 念のため聖子の方を向く。彼女は強く首を振った。それは、つまり―― 「聞こえない。聞こえないよさつきさん!」 「誠二様!」 手をぎゅっと握りあい、喜びを分かち合う。 周囲にいる名士たちが何事とばかりに目をぱちくりさせている。 「今だ、告白するには今だ、今しかない!」 既成事実を作る絶好のチャンス。これを逃してはならぬ。 「言うぞ……言うぞ……今は各界の名士も集まっている……今なら祝福……」 あれ? 何故だろうか。動機が激しくなってきた。 息が荒い。汗がにじむ。体がかっかして、耳など火傷しそうだ。 どうして? なんで? ホワイ? 「…………」 さつきさんが冷たい目でじっと俺を見つめている。不安と失望が双眸にありありと浮かんでいるのがわかる。 「言うぞ……言うんだ……勇気を出せ、市川誠二!」 俺は必死に自分に言い聞かせ、大きく息を吸って。 「あ、あの……その……さ、さつきさん……う、うぽお」 うぽおってなんだようぽおって! 「兄者……」 「誠二さん……」 気づくと、聖子と鈴子さんも非常に冷ややかな、南極みたい
「ではみなさん、しめっぽい話はこれまで、飲みましょう! グラスをお受け取りくださいな。さ、誠二さんもいらして」 「あ、ああ……えーと」 行って何をしろと? 謝罪? 不味い酒になりそうだ。 と、道中聖子がくるりと身をひるがえし、自身の姿を見せつけてきた。 「兄者、どう?」 「お前、その格好……」 メイド服着てどうするんだよ。しかもわざわざ掃除が終わってから着替え直したのかよ。こいつもまたバカなんじゃなかろうか。 「せっかくだから七岸さんと同じにしてみた! ほら、制服は沢山余ってるし!」 「にぃー」 「うりっちも喜んでる」 「はは……ま、いいや、じゃあさつきさんと聖子は給仕を頼むよ。あとお父さんとお母さんもよろしくお願いします」 「「はい、わかりました」」 二人はきちんとした格好だがスーツと着物で、当然メイド服など着ていない。当たり前である。だいたいさつきさんだって着物姿だ。聖子がおかしいんだ。 さて、俺は各界の名士たちに頭を下げる仕事を始めよう。正直気が重い。彼らはみんな爵位持った華族様なんだぜ? 怖いよ。俺平民の息子だし。 ――と、その時。 「く……あ……っ! いけない……な、なにこれ……っ!」 「さつきさん!?」 しまった! 今までなまじ順調だった分心の隙が! 「我が最後の力、思い知れ。何が何でも、余は生き残らねばならぬ!」 声までしやがる。黒い影が出てくる。名士たちが何事だとざわざわ声を立て始めた。 「く……この状況で、最後の抵抗か、サトラレが……上等じゃん」 でも、だからどうした? そういう状況だからこそ、俺は燃えるんじゃないか。今までも荘だったように、これからもそうなんだ。 俺は市川誠二! ミスター完璧超人をめざす魂! いかなる困難もこの鍛えられた知能と体力と精神力で撃砕するのみ! いくぞ、サトラレ! 「誠二……様……」 さつきさんがうずくまりだす。霊体はどんどん濃く、大きくなっていく。 さらに念波
全ての準備を終え、俺は顔を洗って改めて学ランをまとう。さっきのは掃除で汚れてしまったからな。さつきさんも聖子が縫った着物に着替え治した。 汚れたメイド服で給仕はさせられない。 ちなみに着物は相当上物だったようで、ひどく似合っていた以上にさつきさんは恐縮しっぱなしで、まあ、逆にそれが緊張を呼び、余計なことを考えさせられなくなる結果になったので怪我の功名と言えよう。 余計なことは考えてしまいそうだが、そこはお父様とお母様、そして聖子の頑張りに期待する。遠慮無く耳元に息を吹きかけてやって欲しい。 さて俺はというと、やはりというか、改めてまたしても十二単をまとった鈴子さんと共に壇上に立ち、名士たちを見下ろしている。 「さあ、最後。記者会見からのパーティーだな。鈴子さん、大丈夫なんだろうな?」 「勿論よ。私に任せて。楽団も用意したわ」 「いや、楽団はいらん」 しかし鈴子さんは音楽を奏でさせた。モーツァルトのピアノソナタ十一。 やっぱり彼女は変人だ。というか、俺の周囲には変人ばかりなのは何故だろう。俺もまた変人だからだろうか? 馬鹿な。 そんなことを考えていると鈴子さんは名士たちに向け、ゆっくりと、けれどしっかりした口調で言葉を紡いでいく。 「さて、お集まりの皆様。入地鈴子でございます。この度、わたくしの婚約破棄発表記念会見にお集まりいただきありがとうございます」 途端、ざわざわと名士たちの怪訝そうな声が響き渡る。 「市川の御曹司もわからんな」「どういうことだ?」「入地家と結婚なんて、日本人なら誰もがうらやむのに」「特に市川は爵位がない。この婚約は家の格を挙げる絶好の機会」 「散々言われてる……。針のむしろだぞこれ」 「大丈夫よ、まかせて」 鈴子さん、楽しそうにぱちんとウインク。 大丈夫だろうか、心底不安である。 鈴子さんはこほんと咳払いを一つすると、胸を張って。 「此度の破局におかれましては、わたくしの不徳の至るところにございます。みなさまご存知の通り、我が入地家は神代の頃より畏れ多くも皇室の藩塀としてお支えさせてい
夜の帳が下り、月がひょっこりと顔を出すようになった時刻になって、 「お掃除終わりました!」「こっちもです!」 どうやら全員の掃除が終了したらしい。壁にかけられている時計を見ると現在六時。たしか七時から記者会見とパーティをやるんだったな。あと一時間しかない。掃除が予想以上に手間取った。まずい。 「よし、次は準備だ! 作る時間はない。鈴子さん、出前を……」 「ぬかりなくてよ? 近所の柳寿司さんから五十人前注文してあるわ」 鈴子さんはそういってふぁさっと前髪を梳く。やたらかっこよかった。 「流石だね。ただ、どう見ても洋風のパーティなのにまさかの寿司なのか」 洋式のテーブルに純白のテーブルクロス。そして立食。なのに食うのは寿司なのか。 しかし鈴子さんは困ったように頬をぽりぽりと掻き、目を反らす。 「洋食屋さんに出前できる量じゃなくて。お寿司だとこういう時便利なのよ」 「そりゃそうだ」 洋食の出前なんて聞いたこともないからな。おかもちに入らないだろうし。 確かに寿司はこういう時便利だ。そばだと高級感がなくてパーティには向かないが、寿司なら格好がつく。まあうちの使用人にやらせたらそばの方を注文しただろうがね。そばっ食いばかりだし。 「でも洋酒くらいは揃えましょう。グラスを並べましょうね」 鈴子さんはそう胃ってピカピカに磨かれたグラスをテーブルに配膳していく。 「寿司に洋酒……うーん、カオスの世界だ」 正直格好がつかない。どうしたものだろうか。 俺が腕を組み、首をひねっていると、おずおずとさつきさんが挙手をする。 「あの、日本酒の方がよろしいのではないでしょうか?」 確かに日本酒なら似合う。よし、これでいこう。だったら座敷の方がよかった気もするが、今更どうにもならないのでこのまま押し通す。和洋折衷だ和洋折衷。日本人らしくて大変結構ではないか。 鈴子さんもそう思ったようで、ぽんと手を鳴らしてくれる。 「じゃあそっちも用意なさって。あと煙草も揃えた方がいいわね。灰皿も並べて!」 「さつきさん、用意しよう」
挨拶を終えた後、俺は七岸さんを地下にある使用人部屋へと案内した。 市川家には大小十五の部屋があるが、そのうち三つが地下にある。三帖一間の小さな和室で、ここを藤高以外の使用人が使っている。 「取り敢えず七岸さんはこの部屋を使ってくれ」 俺はドアを開け、七岸さんを中へと招いた。 七岸さんはトランクを置くと、驚いたようにキョロキョロと見回す。 「個室なんですね」 「ああ、うちの使用人には一応全員個室を与えている。まあ三帖しかないけど、そこは我慢して欲しい。君、学校とかは……」 「女学校は辞めました。言わなくてもわかるでしょ
その後、部屋や制服への着替えは後回しにし、まずは他の使用人たちに紹介をすることにした。場所は同じ応接室。使用人たちを呼び寄せる形だ。 「えー、みんな、今日から奉公して貰うことになった七岸さん。さ、ご挨拶を」 「七岸さつきです。それにしても成金趣味丸出しのクソ屋敷ですね。相当甘やかされて育ってきたのでしょう。クソですね」 (キャー! どうしてこんなこと言っちゃうのよ! 若様に失礼でしょうが! ああもうこんなこと言ったら嫌われちゃうじゃない! 大事な初日なのに!) 顔を真っ赤にさせ、両手で頬を押さえながら泣き叫ぶ七岸さん。 「「「………
師走特有の北風が夕方の空に吹きすさぶ。 学ランとマントをまとう俺の体に針のごとく突き刺さる圧倒的な寒さ。しかしそんなことを気にせず東京の街並みを全力で突き進んで行った。 家までは走って三十分。まさにギリギリだ。しかし諦めない。俺は人々の隙間を縫いながら疾駆する。 往来は夕飯時が迫っているということもあり、主婦や子供たちが談笑しながら買い物し、それに呼応するように様々な店の主人が大きな声を張り上げ、それが東京に活気をもたらしていた。 うん、つまり彼ら凄い邪魔なんですけどね。まあ仕方あるまい。この困難が俺をより一層燃えがらせ
いくたびも、雪の深さを、尋ねけり。 正岡子規が読んだ句の通り……と言うには雪などこれっぽっちも降っていないし、にこやかな晴天が空を覆い尽くす十二月上旬の東京市。 本郷区向ヶ丘に居を構える第一高等学校の廊下で、俺は先日のテスト結果が張り出された紙を眺めながら盛大に高笑いしていた。 「はーははっははっはは!」 市川誠二の名前が七番目に記されている。つまり七位だ。試験一週間前から睡眠五時間で勉強し続けた甲斐があったと言えよう。周囲の学生たちがぎょっとした目でこちらを見るが、俺は全く気にしない。 「んー、快調快調。よっしゃ、次は五位